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今年最初の、『医療問題』 の記事である。

『医師不足』 『産科医不足』 『小児科不足』 『お産難民』 などの
現状を伝える事は、昨年の大きなテーマの一つであった。

力不足で全然広められなかった・・・。

自分に出来る事は、それでも、少しずつでも、皆の認識をあげてもらうよう、
努力するしかない・・・。

しつこいが、今年も書いていくつもりである。

少しでも、応援して頂きたい。



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お産SOS 東北の現場から  河北新報社

プロローグ
(上)崩壊の瀬戸際/減る産科医 忙殺の連鎖    2007.1.14
http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/01/post_3.html#more

『安心して産みたい』。妊産婦の叫びが聞こえる。
東北各地で産婦人科を閉じる病院が相次ぐ。
出生数がわずかながらも上向き、少子化にかすかな明かりが差す一方で、
肝心の産む場が地域の中でなくなっている。
『お産過疎』 の進行は、全国的にも東北が特に深刻だ。
医師不足、過酷な勤務、訴訟リスク・・・。
産科医療を取り巻く厳しさは、都市も郡部も、大病院も開業医も変わりはない。
さまよう妊産婦、悪条件の中で踏ん張る医師。
東北に交錯する 『SOS』 の発信地をたどり、窮状打開の道を探る。

『5日と2時間』
通知書類には直前の9カ月半に取ったわずかな休日数が記されていた。

東北の公立病院に勤めていた産婦人科医。
2004年、過労死の認定を受けた。亡くなったのは01年暮れ。
自ら命を絶った。53歳だった。
『僕が地域のお産を支えているんだよ』
家族に誇らしげに語っていた。

亡くなる半年前、医師5人だった産婦人科で1人が辞めた。後任は見つからない。
帰宅は連日、夜の10時すぎ。昼食のおにぎりに手を付けられない日が増えた。

床に就いても電話が鳴る。『急変した。診てもらえないか』。
地元の開業医や近隣の病院からだった。『患者さんのためだから』
嫌な顔一つせず、職場へ舞い戻った。

心身の負担は限界に達しつつあった。ようやく取った遅い夏休み。
1人の患者が亡くなった。『自分がいたら、助けられたかもしれない』。
食は細り、笑顔も消えた。

『つらいなら、辞めても良いよ』。見かねた妻が言った。
『自分しか出来ない手術がずっと先まではいっている』。
そんな責任感の強い医師が死の前日、同僚に漏らした。

『もう頑張れない』

家族あてとは別に、『市民の皆様へ』 という遺書もあった。
お別れの言葉をしたためていた。
『仕事が大好きで、仕事に生きた人だった。そんな人が頑張りきれない
ところまで追いつめられた』。妻は先立った夫の心中をこう思いやる。

本年度、東北の6大学医学部・医大で産婦人科医局の新人はたった 8人
東北大と弘前大は1人もいない。学生が産婦人科医になりたがらない。

この10年で全国の医師は約4万人増えた。
それなのに、産婦人科医は 約900人減った
24時間、365日の激務。母子2人の命を守るプレッシャーがのしかかる。

出産をめぐるトラブルや 訴訟の多さ も、なり手をためらわせる。

06年2月には福島県立大野病院の医師が、帝王切開手術で妊婦を失血死させた
として逮捕された。医師1人体制で、年間約200件の出産を扱っていた。

会津若松市の病院で働く産婦人科医曽我賢次さん(57)は言う。
『限られた体制で命を救おうとした医師が結果を問われ、
刑事罰まで受けるのでは、産科のなり手は減るばかりだ』
10年前から、曽我さんはお産の扱いをやめた。今は内科と婦人科で働く。
きっかけは 後輩の突然死
『熱心で優秀な医師だった。夜中に呼び出され、病院へ向かおうとして
倒れたと聞いた。やりがいだけで長く続けられる仕事ではない』。
大学の同期5人のうち3人は内科などに移った。

鉄の街として栄えた釜石市。04年、釜石市民病院はお産をやめた。
隣の遠野市の岩手県立遠野病院は5年前から休診中。分娩を扱う開業医はいない。

地域でお産ができるのは県立釜石病院だけ。
『1時間以上かけ、市外から山道を越えてくる妊婦さんも多い』。
産婦人科の医師小笠原敏浩さん(46)は言う。

04年春、医師は1人から2人になった。もっと忙しくなった。
それ以上に患者が殺到したからだ。入院患者は以前に比べて倍増した。
出産は本年度、約500件に達する見通し。
2人が手術に掛かりきりのとき、診察室は空っぽになる。

分娩の数を制限すれば楽にはなるが、
『行き場を失う人は出したくない』 と小笠原さん。
『産婦人科は大変なだけじゃない。面白さを若手に伝えるのも、僕の使命』

生命の誕生に立ち会う喜びと誇り。
重圧と真正面から向き合う医師たちが今、
瀬戸際で踏みとどまっている

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これが現実である。

記事を読んで泣きそうになった・・・。


責任感により、自分の生活を犠牲にして、患者さんを守ろうとする医者で
今の医療は成り立っている。

これを変えていかない事には何も解決しない。


年間、医者の自殺は 90人・・・。


少しでも改善されることを祈る。



『医師不足』については、
 医師不足①
 医師不足②
 日本の医療が崩壊する?!
 医師の偏りまざまざ 東北不足深刻


『産科医不足』 については、
 『全国の8割 『産科医不足』 小児科、へき地医療も深刻』 
 『産婦人科医希望2割減』 


お産の場所が消えゆく状況については、
 『医療機関整備で県外派遣産科医の撤収へ』      
 『産科医不足、大阪の都市部でも深刻』
 『分娩取り扱い終了のご案内 オーク住吉産婦人科』
 『奈良・大淀病院、分娩対応中止へ』
 『お産ピンチ』 首都圏でも 


『奈良の妊婦死亡問題』 については、
 地方医療の崩壊
 『奈良の妊婦死亡問題』に対する個人的な意見』
 『奈良の妊婦死亡問題』 から
 『奈良の妊婦死亡問題』 についてのコラム①
 『奈良の妊婦死亡問題』 についてのコラム②

などを、参照して頂きたい。


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コメント
この記事へのコメント
涙が出ますね...
トラックバックしていただきありがとうございました。

私も、同感です。
何故、自死を選ぶ必要があったのか?一般の方々、マスコミの方々には充分に伝わらないのが、もどかしいところです。

ブログのチカラは余りにも非力ではありますが、今後も医療の現場をつたえるよう頑張りたいと思います。

こちらからもトラックバックさせていただきました。
2007/01/21(Sun) 09:27 | URL  | いなか小児科医 #JalddpaA[ 編集]
> いなか小児科医 先生

ありがとうございます。
これからも地道に頑張ろうと思ってます。また勉強させてもらいます。今後も宜しくお願い致します。
2007/01/22(Mon) 20:22 | URL  | ドロロンえん魔くん #-[ 編集]
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本日2稿目です。 日本の一部の地域では、ここまで周産期を支える医師が追いつめられ
2007/01/21(Sun) 09:15:41 |  いなか小児科医
医師不足の問題が地方などを中心に耳にするようになっている。医師不足の原因には、様々な点があることが想像される。新聞などによると医師の転職、すなわち病院を退職する背景が見えてくる。
2007/04/06(Fri) 17:58:09 |  医師不足の背景と医師転職
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